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水上の舞——清水宗治、最期の一差し
(2026.05.27)

皆さん、こんにちは!5月も終わりに近づき、新緑がいよいよ深みを増してきましたね。 さわやかな5月晴れの日に走るバスの車窓は、この季節がとりわけ美しく、 緑の中をするすると走り抜けるたびに、ああ気持ちいいなあと思います。
さて、今回は少し歴史の話をさせてください。 「ちょうど今頃のこと」として、440年以上前の1582年に起きた、 歴史好きにはたまらないドラマティックな出来事についてです。
その舞台は、岡山県岡山市北区にある備中高松城。 現在は城址公園として整備されており、静かな田園風景の中にたたずむこの場所で、 日本史上最も有名な「水攻め」が行われたのが、1582年の5月から6月にかけてのことです。
当時、豊臣秀吉(このときはまだ羽柴秀吉)は、 織田信長の命を受けて中国地方の攻略に当たっていました。 中国地方を支配していた毛利氏の勢力圏に迫る中で、秀吉が次の標的としたのが、 毛利方の重要拠点であった備中高松城です。
城主は清水宗治(しみずむねはる)。 実直で知られた武将で、領民からも深く慕われていたといいます。 高松城は典型的な「水城(みずしろ)」でした。 周囲を湿地帯に囲まれた地形を巧みに利用した城で、 通常の攻め方では兵を近づけることすら難しく、力攻めは到底通用しません。
秀吉はこの難攻不落の城を前に、軍師・黒田官兵衛の進言もあり、 「水攻め」という大胆な策を採用します。 1582年5月8日(旧暦)、秀吉は驚くべき大工事を開始します。 高松城の周囲を取り囲む、全長約3キロにもおよぶ大堤防の築造です。 現代でも難工事とされるような規模の堤防を、わずか12日間で完成させたといわれています。
動員された人数は約2万人とも3万人ともいわれており、 近隣の村々からも人夫が集められ、昼夜を問わず作業が続けられたとのことです。 堤防が完成した直後、折よく梅雨の季節を迎えた足守川が増水し、 高松城はみるみるうちに水に沈んでいきました。 難攻不落の城が、今度は「水の孤島」となってしまったのです。 城内の兵糧は次第に底をつき、外からの援軍も断ち切られて、 清水宗治はじりじりと追い詰められていきます。
この堤防の跡は現在も一部が残っており、城址公園を訪れると当時の地形とともに見ることができます。 あの短期間でこれほどの工事をやり遂げた秀吉の組織力と決断力には、 改めて圧倒されるものがあります。
 ↑ 備中高松城址
さて、ここからが歴史の大きな転換点です。 毛利方も援軍を送り込もうと、毛利輝元・吉川元春・小早川隆景らが大軍を率いて高松城へと向かいます。 秀吉軍と毛利軍が対峙し、このまま大規模な合戦になるのか、と思われたまさにその時—— 1582年6月3日、京都から一報が届きます。 「本能寺において、織田信長が明智光秀に討たれた」 この知らせを受けた秀吉が真っ先に考えたのは、毛利との和睦を急いでまとめ、 一刻も早く京都へ引き返すことでした。
しかし問題があります。 本能寺の変の報をこのまま毛利側に知らせてしまえば、和睦どころか背後から攻め込まれる恐れがあります。 秀吉は情報を厳重に封じ込めながら、電光石火の交渉を進めました。 交渉の末、清水宗治は城兵の助命と引き換えに、自らの切腹を申し出ます。 6月4日、宗治は小舟に乗って水上に漕ぎ出し、舞を一差し披露したのち、 従容として自刃しました。 その潔い最期は敵方の秀吉をも深く感動させたといわれており、 「見事な死にざまであった」と語ったと伝えられています。
和睦が成立したその日のうちに、秀吉は大軍を率いて高松を出発します。 そこから京都までおよそ200キロの道のりを、わずか10日足らずで踏破し、 山崎の戦いで明智光秀を討ち取りました。 この驚異的なスピードの撤退行が「中国大返し」と呼ばれるものです。
ここで広島に縁のある話として触れておきたいのが、毛利氏のことです。 交渉の場で秀吉側の窓口となったのは安国寺恵瓊(あんこくじえけい)で、 毛利の外交僧として知られる人物ですが、彼は広島・安芸の出身とされています。
また、毛利氏はいうまでもなく安芸国(現在の広島県西部)を本拠地とした一族で、 備中高松城での和睦交渉は、広島の歴史とも深く結びついた出来事でもあります。 毛利元就が安芸の小さな国人領主から中国地方10か国を支配する大大名へと成長した歴史は、 広島の方なら幼い頃から親しんでいることと思います。 その毛利氏が高松城での和睦によって秀吉と結び、 後に関ヶ原の戦いで西軍の総大将として担がれ、敗北によって大幅に領地を削られ、 長州藩として幕末の歴史へとつながっていく——
歴史とは本当に一つの出来事がずっと先まで連鎖していくものだと、 この水攻めの話を思い出すたびに感じます。 備中高松城址は現在、岡山市内からも比較的アクセスしやすい場所にあります。 水攻めの堤防跡、清水宗治の首塚、蓮が浮かぶ静かな城址の池—— 梅雨の季節に訪れると、当時の水攻めの情景が少しだけ想像できるような気がして、 個人的にはとても好きな場所のひとつです。
この時期、岡山・広島方面へのツアーの車中でこのエピソードをご紹介すると、 お客様が車窓の景色をまた違った目で眺めてくださることがあります。 旅は景色だけでなく、その土地に刻まれた歴史を知ることで、 何倍もの深みが生まれるものだと思っています。 皆さんもぜひ、梅雨入り前のこの季節に、歴史に思いを馳せながら旅してみてはいかがでしょうか。 また来月もよろしくお願いいたします!
 ↑ 清水宗治 首塚
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