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安土城跡に行ってきました
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皆さん、こんにちは。 6月に入り、蒸し暑い日が続いています。 これから本格的な夏がやってきますね。
暑くなると、なかなか行けないと思い、 まだ涼しい内に行って参りました。 関西でバスガイドをしていても、なかなか行く事がないので、 興味深く、一度は行ってみたい!と。
行き先は滋賀県、びわ湖をのぞむ信長の「安土城跡」です。 天下統一を目前に控えた織田信長が、当時の建築技術と贅を尽くして築きあげた安土城。 日本の城の中でもっとも豪華であったと言われ、後世の城建築にも多大な影響を残しました。 ですが、完成後わずか3年後、本能寺の変のあと、 放火により炎上しました。
安土城跡は、安土山という標高199mの小山にあるのですが、 とにかく「石垣が多い」ことに驚かされます。 城に至る大手道は直線で約180mほどなのですが、 両側には至るところ石が敷き詰められ、 伝豊臣秀吉邸跡、伝前田利家邸跡などの曲輪で固められています。 さらに進むと、森蘭丸ら信長の家臣の屋敷跡が立ち並びます。
1576年(天正4)、織田信長は美濃の岐阜城を嫡男である信忠に譲ると、 京都に近く、要衝地である安土に、丹羽長秀を普請奉行として 新しい城の建設に取り掛かりました。
信長の天下布武を象徴する城として、また信長の天下人としての すべてを表現する城として、非常に独創的な発想を用いた築城であったと言われます。
特に、天主内部は、信長自身の思想を取り入れた豪華絢爛な造りであったといいます。 そうして、3年後に天守閣が完成しました。 その天守閣は高さ46m、五層七重の造りで、キリスト教宣教師が訪れた際には 「ヨーロッパの建築に優るとも劣らない名建築」と驚いたそうです。
しかし、それから3年後の1582年(天正10年)、 信長は「本能寺の変」で、明智光秀の謀反により非業の死を遂げます。 その後、織田信雄らの明智残党掃討の際に 城下に放火したのですが、この時の火が城にまで広がって 天主が焼け落ちてしまったと言われています。
わずか3年という短命の城、 実際に安土城跡に訪れると、非常に興味深く、 信長の天下布武と幻の城に歴史がしのばれるのです。
以前、ディアゴスティーニのシリーズに「安土城をつくる」というものが あったのですが思い出して、つくってみたくなりました。 安土城跡地の発掘調査や復元された設計図をもとに、 90分の1スケールの模型として再現するのですが、 毎号、木製パーツが付いていて、組み立てていくという物です。 特に使われた設計図が、実際の城が建てられるほど正確なものらしいので、 なおさら興味を抱いてしまいます。
もし、模型を作ることが出来たら・・・。 ご紹介しますね。
(2011.06.14) |
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