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2011年06月のバックナンバー記事

安土城跡に行ってきました
皆さん、こんにちは。
6月に入り、蒸し暑い日が続いています。
これから本格的な夏がやってきますね。

暑くなると、なかなか行けないと思い、
まだ涼しい内に行って参りました。
関西でバスガイドをしていても、なかなか行く事がないので、
興味深く、一度は行ってみたい!と。

行き先は滋賀県、びわ湖をのぞむ信長の「安土城跡」です。
天下統一を目前に控えた織田信長が、当時の建築技術と贅を尽くして築きあげた安土城。
日本の城の中でもっとも豪華であったと言われ、後世の城建築にも多大な影響を残しました。
ですが、完成後わずか3年後、本能寺の変のあと、
放火により炎上しました。

安土城跡は、安土山という標高199mの小山にあるのですが、
とにかく「石垣が多い」ことに驚かされます。
城に至る大手道は直線で約180mほどなのですが、
両側には至るところ石が敷き詰められ、
伝豊臣秀吉邸跡、伝前田利家邸跡などの曲輪で固められています。
さらに進むと、森蘭丸ら信長の家臣の屋敷跡が立ち並びます。

1576年(天正4)、織田信長は美濃の岐阜城を嫡男である信忠に譲ると、
京都に近く、要衝地である安土に、丹羽長秀を普請奉行として
新しい城の建設に取り掛かりました。

信長の天下布武を象徴する城として、また信長の天下人としての
すべてを表現する城として、非常に独創的な発想を用いた築城であったと言われます。

特に、天主内部は、信長自身の思想を取り入れた豪華絢爛な造りであったといいます。 
そうして、3年後に天守閣が完成しました。
その天守閣は高さ46m、五層七重の造りで、キリスト教宣教師が訪れた際には
「ヨーロッパの建築に優るとも劣らない名建築」と驚いたそうです。

しかし、それから3年後の1582年(天正10年)、
信長は「本能寺の変」で、明智光秀の謀反により非業の死を遂げます。
その後、織田信雄らの明智残党掃討の際に
城下に放火したのですが、この時の火が城にまで広がって
天主が焼け落ちてしまったと言われています。

わずか3年という短命の城、
実際に安土城跡に訪れると、非常に興味深く、
信長の天下布武と幻の城に歴史がしのばれるのです。

以前、ディアゴスティーニのシリーズに「安土城をつくる」というものが
あったのですが思い出して、つくってみたくなりました。
安土城跡地の発掘調査や復元された設計図をもとに、
90分の1スケールの模型として再現するのですが、
毎号、木製パーツが付いていて、組み立てていくという物です。
特に使われた設計図が、実際の城が建てられるほど正確なものらしいので、
なおさら興味を抱いてしまいます。

もし、模型を作ることが出来たら・・・。
ご紹介しますね。
(2011.06.14)

 
 
   
 
 
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