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近江富士のおはなし
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皆さん、こんにちは。 暑い日が続いております。今年も本格的な夏がやってきました。 夏になると、ハイキングや夏山登山に行かれる方も多くなりますが、 あまり高い山に行かずとも、しかしながら 登山気分を味わえる、親しまれている山が滋賀県にあります。 その周辺には歴史的な見どころも多いので、 散策にも適しています。
山の高さは432mで、その美しい姿から、「近江富士」と呼ばれています。 名神高速道路、栗東インターチェンジを過ぎて、菩提寺PAのあたりから、 左手にちょうど美しく見える山が三上山です。 1年を通じて登山、ふもとではハイキングを楽しむ方が多いことで知られます。
また、この山を7巻半した「大ムカデ」を「俵藤太」が弓矢で退治したという 伝説が残っていることから「ムカデ山」と呼ばれることもあります。 それでは今回は、この「俵藤太のムカデ退治の伝説」をご紹介しましょう。
★俵藤太という人ですが、下野(しもつけ。ほぼ現在の栃木県)出身ともいわれる 実在の人物だった藤原秀郷(ふじわらのひでさと)のことです。
むかし昔、平安時代のことです。 俵藤太秀郷(たわらのとうたひでさと)という武将が瀬田川にかかる唐橋を 渡ろうとしたら何やら多くの人が橋のたもとで大騒ぎしていました。 「一体何事だろう」と秀郷が近寄ってみると、 何と橋の真ん中に一匹の大蛇がとぐろを巻いているのです。 その、あまりに大きな大蛇の姿に村人たちは恐れおののいて、 誰一人として、橋を渡ることができないようです。
ところが俵藤太秀郷は、その大きな大蛇を何と足で踏みつけて 橋を渡ってしまいました。 さて、その晩のことです。 秀郷の夢枕に美しい天女が現れて、このように言いました。 「私は琵琶湖に住む竜王の娘、実は三上山の大ムカデが 魚を食い殺してしまい、とても困っています。 そこで誰か、大ムカデを退治してくれる者はいないかと、 大蛇の姿に身を変え唐橋で待っておりましたところ、 あなた様は私を踏みつけて行かれました。 どうか、お願いです。あの大ムカデを退治して下さい」
あまりに天女が熱心に頼むので、俵藤太秀郷は その大ムカデ退治に出かけることにしたのです。 翌日、秀郷は弓矢を持ち、三上山のふもとで 大ムカデを待ち構えておりました。 すると天地から雷のような大きな音が鳴り響いたかと思うと、 これまで見たこともない、見上山を七巻き半もする大きな ムカデが出てきたのです。
秀郷はしっかりと弓をひき、ムカデめがけて 矢を射ました。しかし、矢はムカデに当たったものの、 ムカデはビクともしません。 秀郷は、さらに何本かの矢を射ましたが、 それでも全くムカデは倒れそうにありません。 さぁ、残った矢はあと1本だけ、 すると秀郷はその矢に自分の唾を塗って 狙い定めて射ったところ、見事大ムカデに命中、 ムカデを退治することができました。
すると、あの天女が現れ、秀郷を琵琶湖の奥深く、 竜宮へ連れていき、それはもう大変なもてなしを受け、 お礼にどれだけ食べても減らない米俵、 大きな釣鐘、鍋などをもらいました。 以来、藤原秀郷は俵藤太と呼ばれるようになったとか。
ちなみにお礼にもらった大きな釣鐘は、 大津の三井寺に寄進したそうで、今でも残されています。 その釣鐘の名前は「弁慶の引きずり鐘」と言うのですが、 その後、弁慶が比叡山へ引きずっていって撞いてみると 「いのう、いのう」と響くので、 弁慶は「そんなに三井寺に帰りたいのか!」と怒って 鐘を投げ捨ててしまったのですが、 その鐘は転がり落ちて、また三井寺に戻ったとか。 鐘にはその時のものと言われる傷痕や破目などが 残っているので面白いお話ですね。
(2012.06.25) |
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