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二上山、大津皇子を偲んで・・
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皆さん、こんにちは。 秋もいよいよ深まって参りました。全国の紅葉もこれからが本番ですね。 さて、あるお天気の日、奈良の二上山にある「国見の丘」に行ってきました。 紅葉も美しいことで知られる二上山ですが、 上まで登るのに階段、また階段・・・何と456段! 額に汗をかきながら登りました。
さて、この二上山という山、 西名阪を大阪から奈良方面に向かって、香芝ICのちょうど右側にありますが、 近すぎてよくわからないので、法隆寺から大和郡山にかけて 右後ろを振り返ると、ポコポコっと峰が2つ連なる山が見えます。 高い方が雄岳、低い方が雌岳、二上山は、大阪と奈良の県境にある 山々のひとつです。
この山には、昭和58年に工事をしていて偶然に発見された 鳥谷口古墳がありますが、7世紀後半頃に作られたとされ、 大津皇子(オオツノミコ)の墓ではないかと言われています。 ・・というのも、万葉集の中に下記の歌があり、
うつそみの人なる我や明日よりは 二上山を弟と我が見む
大津皇子の姉、大伯皇女が詠んだもので、 その前文に、弟は二上山に葬られた、と書かれている為です。 大津皇子の父は、天武天皇です。 大津皇子は24歳の時、謀反の疑いをかけられ、自害に追い込まれた、と 日本書紀にあります。
二上山は、飛鳥から見れば、東の三輪山から日が昇り、 西の二上山に日が沈むため、 三輪山のある東側は生の世界、西の二上山の向こうは死の世界という 考え方があったとか、 確かに二上山の向こうは太子町、非常に多くの古墳群があります。 なお、二上山の山頂には大津皇子の墓、という場所があって、 現在、宮内庁が管理しています。
(2014.10.25) |
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