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2015年02月のバックナンバー記事

ガイド教本によく出てくる狩野派とは?
皆さん、こんにちは。
春もすぐそこ、と言いたいところですが、
とはいえ、寒い日も多いですね。

さて、今回のお題は「日本画」です。
ガイド教本の中にも、日本全国いろいろな所で登場するこの日本画については、
覚えるのが苦手な方も多いことでしょう。

でも、これからお話することを覚えておくと、
どこに行っても使える雑学になることでしょう。

江戸時代以前の日本には芸術家としての「画家」という概念がありませんでした。
どちらかというと、絵を描くことが上手な人は、そういった技能を持つ、
職人という感覚であったようです。
また、特に技術が高い人は、幕府の御用絵師として仕事をしていました。

ことに、室町時代中期(15世紀)には幕府の御用絵師として活動した
狩野正信(まさのぶ)という人がいましたが、この方こそが、
ガイド教本にしょっちゅう出てくる「狩野派」と呼ばれる職業画家集団の
始祖となった方です。
狩野正信の子孫は、室町幕府崩壊後は織田信長、豊臣秀吉、
徳川将軍などに絵師として仕えました。
そして、数々の作品を残し、日本美術界に多大な影響を及ぼしたのです。

始祖である狩野正信の絵は、あの一休禅師ゆかりの京都大徳寺、真珠庵の
「竹石白鶴図」が有名なのですが、現在は京都国立博物館に収蔵されています。

そしてちょうど、正信が活躍した室町時代のころ、
宮廷の絵所預(えどころあずかり)の職についていた大和絵系の土佐光信と、
漢画系の狩野正信の両者がその後の画壇における二大勢力となったのです。

さて、よく教本にある狩野派というと、
皆さんが一番よくご存じな方は探幽でしょうか?

狩野探幽といえば、京都の妙心寺に探幽が書いた雲龍図がありますね。

そして、相国寺の法堂には、探幽のおじさんにあたる狩野光信の筆による、
天井に書かれた『蟠龍図』、ご覧になられたことがありますか?
もし、まだなら特別拝観の際にぜひ、ご覧になると良いですよ。

龍の絵なんですが、「八方睨みの龍」と言われて、
どの角度から見ても、こちらを向いているように見えます。、
それから、拝観の時に体験して頂きたいのが、「鳴き龍」。
ある場所から手を叩くと、やまびこのように音が返ってくるので、
「鳴き龍」と呼ばれます。
ちょっとでも位置がずれると聞こえない、不思議なものです。

狩野探幽は、始祖の正信から数えると、
5代目の、これまた有名な狩野永徳の長男です。
狩野永徳は、京都の風景を描いた「洛中洛外図屏風」といえばあ〜っと
おっしゃる方も多いのでは?

長男の探幽は後に、江戸幕府の御用絵師として活躍しました。
これも一度ご覧いただきたいのですが、
二条城二の丸御殿障壁画や妙心寺の雲龍図などが有名です。

特に、探幽の描いた二条城の式台の間と大広間にある松の絵はすごいです。

遠侍の間には、竹林群虎図という虎と豹の絵があるのですが、
訪れる人を威圧するために書かれたとか。
これは、狩野門下の絵ですが、当時、日本には虎や豹はいなかったので、
何と想像して描かれた絵なのだそうです。

いかがでしょうか。
こうして紐解いてみると、相国寺や二条城に行ってみたくなりませんか?
お寺などの観光の際は、お話が難しくなりがちです。
狩野派といえば、名前はご存じのお客様も多いはず。
ちょっと間の空いた時にどうぞ。
(2015.02.25)

 
 
   
 
 
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