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坂本龍馬は剣術の達人だった・・?
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皆さん、こんにちは。 日に日に秋らしくなる今日この頃、ガイドの皆さんは今この時、と 乗務に励んでいらっしゃることと思います。
さて、今回は興味深いニュースがあったので、 それをテーマにお話してみたいと思いますが、ちなみに皆さんは西日本で 一番好きな旅先はどこでしょうか、 九州のいずれか、という方は多いと思いますが、 ちなみに私は高知です。 現役の頃、四国Vルートといって、大阪から鳴門経由で香川(徳島)〜高知〜愛媛を 縦断するコースに行ってみたくて、一生懸命に勉強したものでした。 以来、高知の桂浜にある坂本龍馬像の姿を何十回見たことでしょう・・・。
その坂本龍馬ですが、なかなかミステリアスな方で、 よくわからない部分も多いのですが、昔から剣術の達人だったとかなかったとか、 いろいろな説がありますね、 そんな中、北海道の坂本家にあった関連資料の中から、 何と、剣術の皆伝書が見つかったのだそうです! これまで、証明するような資料がなかったので、龍馬が剣術に長けていた、 というのは、伝説のようなものだったのですが、 これで、ひときわ事実に近づいた感じです。 流派も聞いて驚き、「北辰一刀流」です。
北辰一刀流(ほくしんいっとうりゅう)は、幕末の剣豪・千葉周作が 始めたとされる剣術の流派で、江戸時代には、それこそたくさんの流派が あったとされていますが、(10や20ではなく、何百も!) その中でも、非常に新しい流派なのだとか、 坂本龍馬はその千葉道場で剣術の腕を磨き、免許皆伝書を取得したのですね。 この発見を受けて、高知の坂本龍馬記念館も、皆伝書を確認したそうです。
このニュースを聞いてから、どうしても桂浜の龍馬像が頭に浮かぶのですが ブーツを履き、ふところに手を入れて遠くを見つめる姿、 刀で人を切ることを好まず、ふところに護身用のピストルを入れているのでは、 ないか、また、龍馬の脇差に鍔がないこと・・ やっぱり龍馬は剣術の達人だった、ということを、 納得させられる感じがします。
1867年11月15日、坂本龍馬、中岡慎太郎が、京都瓦町近江屋で暗殺された際、 誰に暗殺されたか、は今だに定かではありませんが、 明治維新を前にして、まさに刺客が斬り込んだ時に 「こなくそ!」と叫んだと言われていますし、 龍馬の無念はいかばかりかと、初めての資料発見に 今回は、思いを馳せてみました。
(2015.10.25) |
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