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一筆啓上 火の用心 お仙泣かすな 馬肥せ
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皆さん、今年もあと僅かとなりました。2015年はどんな年でしたか? これから寒い冬が始まりますが、ツアーなどでは11月から12月頃にかけて、 カニを食べにいくコースや、お買い物ツアーもありますね。 寒い時期に北陸など、寒い土地に行くのは、逆に楽しみな仕事のひとつです。
北陸自動車道でのご案内といいますと、ネタは尽きないほど多いのですが、 敦賀〜鯖江〜丸岡あたり、ちょっと歴史のお話も多いですね。 丸岡まで来ると、丸岡城がチラッと見えますし、少し目先が明るくなります。
丸岡城は、ご案内をさせて頂くだけの場合が多いのですが、 1度だけ、実際にコースに入っていて、訪れたことがあります。 現存する天守閣では最古の建築様式を持つお城、ということで、 歴史好きの私としても興味深いお城で、まさに戦国時代が偲ばれる雰囲気でした。
丸岡城は、1576年に織田信長の命により、柴田勝家が甥の勝豊に築かせたものです。 石落としが残っているのですが、石垣を登ってくる敵に、 そこから石を落として応戦した、という場所で、私も印象に残っています。
また、有名なのは、お城の中の階段がものすごく急なことでしょうか、 まさに天を仰ぐような階段で、ロープを持って登るような感じで上がれます。 高いところにある天守閣で、上からの眺めは絶景です。
そして、お城近くには、有名な石碑、 「一筆啓上 火の用心 お仙泣かすな 馬肥せ」、 日本一短い手紙、といわれているのですが、本多作左衛門重次が 長篠の戦場から、妻に送った手紙の石碑です。
火事に気を付けて、お仙を大切にし、馬の手入れを欠かさぬよう、という 内容で、短い文章の中に、妻や子をいたわる気持ちが見てとれます。 本多作左衛門重次は、鬼の作左と呼ばれた戦国時代の武将ですが、 お仙とは、本多作左衛門重次の子供で、仙千代のことです。
後に、丸岡城の藩主となる本多成重が、本多作左衛門重次の子で 仙千代のことですので、その縁から丸岡城に石碑があります。
ことに春、桜の頃はひときわ美しいお城で、 別名、霞ヶ城と呼ばれ、日本の桜の名所100選にも選ばれています。
(2015.12.25) |
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