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2016年08月のバックナンバー記事

海の百万石 銭屋五兵衛
皆さん、こんにちは。
まだ暑い日も続いておりますが、これから秋に向かっていくので、
少し嬉しい今日この頃です。
この時期から年末までの観光シーズンは、忙しくてあっという間であった
思い出が多いのですが、特に、秋以降といえば北陸、寝ても覚めても
北陸にお仕事へ行っていた頃がありました。

北陸には、加賀温泉郷といわれる、山中、山代、片山津など
多くの温泉があるのですが、北陸自動車道の片山津ICからほど近く、
北前船の資料館があります。
観光コースに入ることは少なかったのですが、
北前船のお話は、北陸では不可欠なので、
1度、自分の足で見学に訪れたことがありました。

北前船というのは、江戸時代から明治初期にかけて、
北は北海道から日本海側を下関を経由してグルっと回り、
大阪まで運行した大型の貨物船のことです。

資料館に模型もあるのですが、非常に興味深く、
日本海仕様とでもいいましょうか、
荒波の中を航行するために、船体がグーっと反り返っているらしいです。

この北前船で巨万の富を築いた人、というと、
やはり、銭屋五兵衛が思い出されます。
金沢、能登方面へ行く場合には、必ず話題に出る人ですね。

江戸時代を代表する、海運業者で、
その資産は300万両とも、今で換算すると、およそ100億円とか。
「海の豪商」、「海の百万石」と称されました。
何しろ、それを一代で築いたのですから驚きですね。

全国に支店のようなものを34ヶ所設け、
ネットワーク的な全国網を使って、体制を確立したそうですが、
その始まりは39歳の時、ボロボロの船で航海し、
以降、20年間、海のドンとして活躍しました。

貿易は、日本だけでなく海外にも及びましたが、
当時は鎖国中ですので、海外貿易は当然、禁止です。
しかし、見返り品を加賀藩に献上していたので、
藩も財政危機だったこともあり、見て見ぬふり、
黙認していたようです。

銭屋五兵衛、通称銭五(ぜにご)、多くは加賀でとれた米を
蝦夷へ行って売り、その帰りに木材や海産物などを積んで大阪へ。
これで、巨万の富を築くのです。

しかし、晩年は、河北潟という湖の干拓工事を手がけた際、
たくさんの魚が死んでしまう、ということがあったのですが、
五兵衛が河北潟に毒を流した、と口々に言われ、
無実の罪で、ついに捕らえられ、80歳で獄中にて亡くなりました。
財産も、すべて没収され、家族も処刑されました。

金沢西ICから、ほど近い場所に、銭屋五兵衛の記念館があり、
観光コースに入ることもあります。
航海で使用していた望遠鏡や、船箪笥など、
興味深い展示物がたくさんあり、こちらでも北前船の模型を
見ることができます。

銭屋五兵衛は、海運業を営む上で、数々の偉業を残した人なので、
北陸方面へ行く時にはぜひ、「海の百万石」と呼ばれた人が
いたんですよ、とご案内して差し上げて下さいね。
(2016.08.25)

 
 
   
 
 
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