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2016年09月のバックナンバー記事

いも代官さん・・?
皆さん、こんにちは。
暑い夏も、もうそろそろ終わりでしょうか、
これから秋のシーズンとなりますが、広島の宮島、山口の萩、
島根の津和野や石見銀山など、中国地方の観光地も賑わいそうですね、
そこで今日は、皆さんもご存知かもしれないのですが、
石見銀山の「いも代官さん」のお話をさせて頂くことにしました。

石見銀山には、「いも代官」と呼ばれる井戸平左衛門という人がいました。
もとは、武蔵の国に生まれ、江戸城においては、火災の警護にあたる
表火番という職を任命されたこともあり、勘定役を長く務めました。

非常に実直で真面目の性格のためか、平左衛門は1731年、
60才で、石見代官に任命されました。
ちなみに、時代劇で有名な大岡忠相が推薦したとも伝えられます。

実は平左衛門、たった2年の間しか、石見代官を務めなかったのですが、
亡くなったのは1733年といいますから、
代官に任命された、僅か2年後、病死ではないかと伝えられています。
なお、平左衛門の墓は、岡山県笠岡市の威徳寺にあります。


さて、この平左衛門が石見代官を勤めていた頃は、
皆さんもご存知のように、享保の大飢饉とも言われる時で、
長雨、冷夏により、稲作にも甚大な被害を受けたそうです。

そこで、幕府の許可を待たずして、領民を救済するため、
代官所の米蔵を開放するとともに、自分の財産はもちろん、
比較的、困っていない農民から募金を募り、そのお金で米を買い、
食べることに困っている人々へ与えました。
また、田畑が被害を受けた地域は、年貢を免除したり、
被害が少なかった所には、年貢の量を減らす減免を行いました。

記録によると、この時の年貢米は、いつもの量に比較して、
非常に少なかったことが書かれており、平左衛門が行った
軽減処置が、いかに大きなものであったことが
わかります。

そしてまた、領民には、お互いに助け合い、
餓死するものが出ないよう、困った人がいれば助け、
蓄えがある者は、無駄遣いをせず、質素倹約に努め、
食事についても、酒や餅代を使わないよう、
買い占めなどの行為も禁止します。

のような指示を出しました。

その後、平左衛門は、大森町の永泉寺(えいせんじ)にて
一人の修行僧と出会い、薩摩の国で作っているサツマイモの事を
聞き、種芋を入手しようとしましたが、当時、種芋は、
薩摩の国から外へ持ち出すことが禁じられていたため、
非常に苦労の末、少量の種芋を石見へ持ち帰ることができました。

それを元に、石見ではサツマイモの栽培が行われるようになり、
以降、餓死する者がいなくなったということです。

現在では、平左衛門のその功績から、「いも代官さん」と
呼ばれ、大変親しまれています。

毎月、このコラムを執筆している私の主人は、
石見の大森で育った人なのですが、やはり小さい頃から、
この「いも代官さん」のお話は、学校で習い、
近隣の県から別の学校の生徒さんが、学校訪問や、
交流に来られる際などには「いも代官さん」のお話を覚え、
毎回、発表していたそうです。

このお話からも、石見銀山の歴史にあって、
これだけ親しまれた人はいないのではないかと思いますし、
大森町の井戸神社では、井戸平左衛門の遺徳をしのび、
毎年5月と11月に例大祭も行われます。
(2016.09.25)

 
 
   
 
 
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