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2017年09月のバックナンバー記事

茶々に宛てた秀吉の手紙?
皆さん、こんにちは。秋の観光シーズンがやってきました。
春秋では散策タイプの観光がコースに入っていることも多いので、
雨さえ降らなければ、歩きやすく、気持ちの良いものですね。

広島をはじめ、関西圏からも行くことが多いのが
兵庫県北部の、例えば城崎温泉などがあります。
城崎のコースですと、初日か翌日に必ずコースに入っている場所、
といいますと、出石でしょうか・・、
今回のテーマは「秀吉」なのですが、
その出石の商屋で、豊臣秀吉が茶々(淀君)に宛てた手紙が見つかったとか、
しかも、自筆なのだそうです。

手紙、といえば私達の頭には、巻物のような、
クルクルと巻を解きつつ読む、そんなものを想像しますが、
何と掛け軸に貼られた手紙で、縦45cm、横50cmといいますから、
サイズはなかなか大きなものですね。
そして、立派な木箱に入っていたそうです。

秀吉直筆の手紙発見は、もちろんこれが初めてではなく、
これまでに約60点ほど見つかっていますが、
その内で、秀吉が茶々に宛てた手紙は5点しかなく、
今回、約70年ぶりくらいとなる6点目の発見とか、
当然、そうそう見つかるものではないので、本当に貴重なものです。

ところで、茶々については今さらご説明の必要もないと思われますが、
秀吉の側室で、秀頼の母です。
ちなみに秀吉の正室は、寧々といいましたが、
天下人の妻になると、北政所(きたのまんどころ)と呼ばれました。

さて、見つかった手紙のお話に戻ります。
立派な掛け軸に貼られた、その手紙は、秀吉が茶々へ宛てて
送ったものですが、今から約420年前に書かれたと見られます。
その時、茶々は病気を患っていたようで、
お灸が苦手な茶々が、ちゃんと我慢をしてお灸の治療を
受けたことなどから、さすがは秀頼の母、と褒めています。
そして、ちゃんと食事をするようにと、
サンマを送る、との約束も書いてあったそうです。

この手紙の状況からもわかるように、
秀吉という人は、今で言うと「マメで優しい」イメージです。
私達が想像していた秀吉とは、ちょっと違った感じがしませんか?
とても思いやりがあって、人を気遣う、
気が利く、というのでしょうか、
そんな人物像に見えてきますね。

さて、この手紙ですが、見ることができます!
2017年10月7日から、11月26日まで、兵庫県立歴史博物館で開催される
「ひょうごと秀吉―近年の新紹介資料を交えて―」という
特別展があり、多くの貴重な資料の中の1点として公開されます。

ところで、秀吉の正室であった北政所は、
秀吉が亡くなった後、その菩提を弔うため、京都にお寺を建立します。
それが、高台寺です。
北政所は落飾後、高台院と呼ばれましたので、
お寺の名前もそれに因んでいます。

秀吉公が乗っていた船の天井が使われていたり、
月を見るのが好きだった秀吉を偲び、月を鑑賞する美しい観月台、
伏見城から移建されたお茶席など、
寧々の秀吉に対する愛がそこかしこに見られて、
とても興味深いお寺です。
秀吉と寧々は、当時では珍しい恋愛結婚でしたので、
きっと2人は仲の良い夫婦だったのだろう、
ここには2人の思い出が詰まっているのかな、と感じずにはいられません。

皆さんも機会がありましたら訪ねてみて下さいね。
そして、高台寺前から右に行けば八坂神社、
左に行くと清水寺に通じる道は、「ねねの道」と呼ばれて、
石畳が続く、散策にピッタリな道です。
写真を掲載しておきますね、クリックして拡大して見て下さい。

バスガイドはどうしてもバスで勉強しての教習が常ですし、
まだ新人の頃は、必要最低限のことを覚えるのに精一杯ですが、
もし時間があれば、時には自分で歩いてみる、というのも
意外に大切で、覚えたことを、さらに自分のものに出来るはずです。
(2017.09.25)

 
 
   
 
 
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