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二上山と悲運の皇子
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皆さん、こんにちは! 蒸し暑い梅雨の季節ですが、今年も本格的な夏が、 刻一刻と近づいていますね。 しかしながら、初夏らしく、木々の緑も濃くなって参りました。
そんな季節にはやはり、山々へ目を向けてみましょう。 私は、幾度か記載しておりますように、関西出身のバスガイドです。 大阪を出発し、向かうところは四方八方ありますが、 私は中でも奈良への仕事が大好きで、同期のガイドから「変わってる」 とよく言われたものです(笑)
奈良のコースは大きく分けて3つ、 1.東大寺、春日大社、つまり奈良公園へ行くコース、 2.法隆寺や薬師寺、唐招提寺をめぐるコース、 3.そして飛鳥めぐりをするコースです。
大人のお客様ですと、飛鳥資料館に立ち寄ったあと、 西国霊場第六番の眼病封じ、お里沢市お話で知られる壷阪寺へは よくあるコースです。
さて、飛鳥方面に向かうには、西名阪の香芝、または大和郡山で降り、 南へ進路をとるのですが、右側にはずっと二上山、 左側には三輪山を見ながら進むことになります。
昔から、東の三輪山が朝日の昇る神の山、西の二上山は、 日が沈む死の山、大和言葉の読みで「ふたかみやま」と呼ばれました。 北側の雄岳は517m、南側の雌岳は474mです。 ちょうど、大阪と奈良の境にあるので、両方の眺めを楽しむことができ、 登山道も、大阪側、奈良側の両側にあります。 ちなみに、約2000万年前に噴火したことのある火山だそうです。
そして、雄岳山頂には、謀反の罪で自害に追い込まれた 悲劇の皇子、大津皇子のお墓があります。
皆さんは、飛鳥・奈良時代について、難しい〜!と思われたことが きっと、おありかと思います。 名前を覚えるのも大変ですし、歴史に登場する人物の関わりも 本当に難易度が高いと思います。
そこで、新人ガイドさんにおすすめの「漫画」があります。 それは、「天上の虹」というコミックで、全23巻なのですが、 文庫版は11巻です。
天上の虹は、持統天皇を中心として描かれているので、 その時代を背景とした、教本に出てくる人物も多く登場するので、 本当にわかりやすいと思います。 当然、今回のテーマに出てくる悲運の皇子、大津皇子も登場します。 彼は、漫画の中でもとってもイケメンですが、 実際に有能で、誰もが次期天皇にと考えていたようです。 だからこそ、持統天皇が苦々しい思いを抱いていたのでは ないかと思います。
その大津皇子とは、天武天皇の第3皇子なのですが、 持統天皇が、我が子である草壁皇子を天皇にするべく、 天武天皇が亡くなると、すぐさま、謀反の罪を仕立て上げ、 24歳という若さで、自害に追い込まれてしまった皇子です。
二上山の山頂に、宮内庁が管理する、 大津皇子のお墓があるのですが、実際には二上山の麓にあり、 誰が埋葬されたのかわからない、鳥谷口古墳が そうなのではないか、と言われています。
彼が埋葬された後、彼の姉である大来皇女が詠んだ句があります。
「うつそみの 人なるわれや 明日よりは 二上山を弟(いろせ)とわが見む」 これは、大来皇女が、亡くなった弟に思いを馳せ、 明日からは、二上山を弟と思って過ごそう、という句です。
この句には、二上山のどこ、という場所は記されていないものの、 当時は謀反を起こしたということなので、 皇子とはいえ、都全体を見渡せる二上山の高いところに 罪人を葬るはずがないと思われ、とすると、やはり麓の 鳥谷口古墳ではないか、と言われているのです。
私は、この「鳥谷口古墳」に一度、行ったことがありますが、 古墳の一辺が約7.6m、中にある横口式石槨(せっかく)も見ることが出来ます。 その石槨は小さく、二上山から産出された凝灰岩なのですが、 天井や側壁に、当時の石棺の蓋が流用?されている状況から、 何となく急いで間に合わせた?的な感じに見えます。
ちょうど、1300年前に造られた古墳であることは判明しているので、 私も、ここが大津皇子のお墓なのだろうなと思いました。
ちなみに二上山では、凝灰岩の他、安山岩も多く、 叩くとカンカン音がするので、カンカン石とも呼ばれます。 割ると、まるでガラスのように尖って鋭く割れるので、 石器時代には、槍の先などに使われたとか。
高速道路を降りて、二上山を見ながら、 二上山と悲運の皇子、大津皇子、古墳のご案内をしていると、 あっという間に飛鳥に到着します。 飛鳥では、まず石舞台古墳に行くことが多いですが、 お客様も、そんなお話の後だからか、とても興味深く見て下さいます。
二上山は、日の沈む山ですが、 その様子がとても美しいことで知られていますので、 上部に写真を掲載しておきますね。 クリックしてご覧下さい。
(2018.06.26) |
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