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2021年11月のバックナンバー記事

お城の石垣は本当に面白い!
皆さん、こんにちは! 秋も深くなって参りましたが、
今年もコロナ禍で紅葉を満喫できない方も多いのではないかと思いますが
本当に残念でなりません。
とにかく来年こそ、旅行を楽しみたいですね。

さて、今回は珍しい石垣についてです。
昨年、2020年の大河ドラマは皆さんご覧になられましたでしょうか?
そう、「麒麟がくる」でしたね。
主役は明智光秀、この大河ドラマでとても人気を博した場所があります。
それはやはり、福知山城でしょう。
天正7年(1579)に築いたお城ですが、当時は「福智山」だったそうです。
「智」は明智の智ですね。

福知山城は明治の廃城令で惜しくも天守が失われ、
石垣を含む一部を残すのみとなりましたが、昭和61年に再建されました。
総工費は約8.1億円でしたが、その内の約5億円余りは団体や個人が一口
3,000円で寄付をつのり、集められたものです。
これは「瓦一枚運動」としてご存じのガイドさんも多いはずです。
現在のお城の瓦の裏に、寄付された方の名前が書かれているそうですよ。

ところで、この福知山城の見どころといえば、やはり石垣でしょう。
戦国時代の工法を活かしたもので「野面積み」のづら、と読みます。
※天正時代の石垣は今も見ることができます。
この石垣の中に、よく見ると墓石や石仏、灯篭まで利用されていて、
福知山城ではこうした「転用石」が500個ほど発見されています。
同じような例で、奈良県の大和郡山城があるのですが、
こちらはもっと多くの700個近くが使われていたそうです。

明智光秀は福知山城を築城する際、付近の寺院をことごとく壊しては、
石塔や五輪塔などの基礎石を石垣に使いました。
しかし、それはなぜなのでしょう?
おそらく築城を非常に急いでいたものの、石垣用の石を用立てる
場所が近くになかったこと、一説には一種のお守り用として、
などが考えられています。

ところで、お城の石垣を見れば時代がわかる、といいまして、
例えば戦国時代に用いられた方法として、自然石を積み上げていくと、
石と石の間に隙間ができますが、この隙間に足をかけて
敵が登ってくると大変なので、間詰石といって、
その間に小さな石が奥まで丁寧に詰め込まれています。

その自然石も、後の時代になると徐々に加工技術が進化して、
切り口のキレイな石になっていきます。
さらに江戸時代になると、面と面がピッタリ接するような、
とても数学的な、計算された石垣の見栄えになってきます。

今度、お城に行く機会があれば気を付けてみて下さい。
戦国時代〜江戸時代にかけては、一番面白いのは石垣の角です。
お城の時代によってはまっすぐだったり、なだらかなカーブを
描くような角のラインだったり、
石の形状が時代によって全く異なるので、非常に興味深いです。
下の方から、どのような形状の石を使って、
どのようなラインを描きながら積まれているのかを見ると、
本当に面白いですよ。

こちらは福知山城の石垣です。
長方形のような石は、おそらく墓石などでしょう。
石塔や墓石には文字が彫ってあったりして
デコボコしているので、そこに水が溜まらないように、
下に向けて積んであるそうです。

  ↓↓


こちらは大阪城の石垣です。

  ↓↓


同じ石垣でもまったく違いますね。
何となくアートのようでもあります。
(2021.11.29)

 
 
   
 
 
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