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2022年03月のバックナンバー記事

改めて、小牧山城は戦国時代の要でした
皆さん、こんにちは。
相変わらず、まだ寒い日が続いております。これから暖かくなるまで気温差も
大きくなってきますので気をつけなくてはいけませんね、
さて今年、コロナの状況が良くなるとしたら、
まず、どこに行きたいかとマップを広げてみました。
私はやはり信州が好きなので奥飛騨や新穂高、上高地周辺でしょうか・・
仕事でも信州・北陸周辺が得意で、高山に長く滞在して
朝方、到着してくる観光バスに乗務する、
いわゆる現地ガイドですが、しばらくやっていたこともありました。

関西から信州方面に向けては、名神高速道路の小牧JCTから中央自動車道に入ると、
いよいよ信州へ、とワクワクしていたものです。
ちょうど、小牧あたりからは、右手に小牧山城(別名:小牧城/現在は歴史館)
が見えますので、それを機に、高速道路も東名高速で名古屋方面だったり、
中央道で長野県方面へと行くことができる、重要な分かれ道ですね。
だからこそ、織田信長は桶狭間の戦い後、清州から引っ越すため、
小牧山城を築城したのですから本当にすごい方です。

小牧山城は、織田信長が築城の名手といわれた丹羽長秀に命じて築城しました。
小牧山という小高い山の上にあるのですが、標高は85.9メートルです。
低いと思われるかもしれませんが、濃尾平野を見渡す場所にあるので、
晴れた日には山上から鈴鹿山脈まで見えます。

近年、といっても10数年続いていますが、
詳しい発掘調査が行われて、織田信長が、この小牧山城に
石垣を使用していたことがわかり、世間を騒がせました。
それまでは土で出来たお城しかなかった時代に、
石垣で積み上げられた城はセンセーショナルだったことでしょう。
後の岐阜城や安土城を築城する際の糧となったものと思いますが、
その礎となった小牧山城はぜひ訪ねてみたいですね。

実は昨年から「小牧山城復元プロジェクト」が行われており、
当時も裏込石に名を記すことが行われていたことに因んで、
まずは石垣から作るため、石垣を支えるための裏込石に
名前を記す、というワクワクするイベントがありました。
私も名前を記してみたかった・・・
※すでに今月から、それらの石が工事で使用されています。

ところで小牧山城には「麒麟の城」という別名があります。
古い昔からある、手紙の最後に記す花押(かおう)をご存じでしょうか?
今でいうところの「署名」や「サイン」のようなものです。

織田信長は生涯で10回以上、花押を変更していたそうですが、
小牧山城を築城した時、おそらく32歳頃だと思いますが、
それが「麒麟」でしたので、「麒麟の城」というわけです。
麒麟は世の中が平和になった時に現れるという伝説の生き物だとか、
何となく信長の当時の意思がうかがえますね。

ちなみに秀吉は「悉」という文字を変形したものらしく、
すべてを平定する、のような意味が込められているとのこと、
様々な歴史資料で、信長や秀吉の書状などを
見ることがありましたら、ぜひチェックしてみて下さいね。


当時の小牧山城について
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・丹羽長秀に命じて築城した小牧山城は4年後、
 信長が岐阜城に移ったので廃城となります。
・廃城から17年が経過してから「長久手の戦い」で徳川家康が陣を構えます。
 そのため、お城は一度、土塁が作られたり改修されています。
・長久手の戦いが1年弱で和解となり、小牧山城は再び、廃城となりました。

現在の小牧山城について
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・館内では様々な歴史資料を閲覧することができます。
・建物は3層4階建て 高さ19.3メートル


こちらは小牧山城からの眺めです。
高速道路もよく見えます。
 ↓↓


(2022.03.01)

 
 
   
 
 
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