|
福山城築城400年リニューアル工事
|
皆さん、こんにちは。ついこの間、桜が咲いたと言っていたところ、もう梅雨のお話です。 最近は春が短く、夏が長いような気がしてすぐに暑くなりますね。 この調子だと梅雨もあっという間かもしれません。
さて、夏といえば私も楽しみにしていることがあるのですが、 2年という長きにわたってリニューアル工事を行っている「福山城」が いよいよ8月27日までで工事を終えます。 リニューアルというよりも、築城400年記念事業です。
これまであまり福山城が観光コースに入ることは少なかったと思いますが、 築城400年を迎え、今後ますます注目されるようになると嬉しいですね。 リニューアルオープン日の8月28日は、築城記念日だそうですので、 ライトアップ点灯式など、イベントがたくさん行われるらしく、 私も可能ならば行ってみたいなと思っているところです。
ところで皆さんも同じだと思われるのですが、 福山城について、実はあまり深く掘り下げたことが、 少なくとも私の場合、ありませんでした(ごめんなさい・・)
今から400年前の1622年、関ヶ原の合戦後、福山城を築城したのは水野勝成です。 水野勝成は、水野忠重の子で、三河の国に生まれました。 皆さん、三河と言えば? そう、徳川家康ですね、水野勝成は徳川家康に仕えた人で、 しかも徳川家康の従兄弟です。 もちろん、徳川家康からも信頼されていたことでしょう。 とても戦に長けた武将で、各戦いで名を挙げています。
関ケ原の合戦後、備後の国に入る前は、三河刈谷藩主、 その後、大和の国、郡山へ転封され、 さらに西の抑えとして福山へ入りました。 10万石を与えられたといいますから、 この事からも、徳川家康からの信頼は厚かったようですね。
機会があって、福山城の当時の姿といいますか、 復元図というのを見たのですが、想像もしていなかった 大きさに驚いて、とても印象に残っているのですが、 その規模というのが、日本の5大名城に数えられるほどの 立派さだったそうです。
城郭も、当時は誰もが驚いたのではないでしょうか? 何となく姫路城に似たようなお城で、それは美しかったようです。
ところが、明治に入ると、廃城令によって、 殆どの建物が壊されてしまったものの、天守はかろうじて 残って昭和6年には国宝にも指定されていたのですが、 第二次世界大戦の1945年、激しい空襲によって天守は消失し、 残念ながら石垣だけの姿になってしまいました。 何とか戦災をくぐり抜けた伏見櫓などは残ったのですが、 築城当時から、それだけの規模と美しさを誇った福山城ですので、 その後、積極的に整備が行われて、 唯一、現存している伏見櫓は重要文化財に指定されています。
また、皆さんご存じの通り、天守閣は昭和41年に 鉄筋コンクリート造りで復元されています。 2006年には日本100名城にも選ばれました。
今回の築城400年に際し、天守リニューアルの中で、 特に注目すべき点は、かつての福山城は、敵からの攻撃に備えて 天守の北側を鉄板張りにしていたそうなので、 地元企業から鉄板2000枚の寄付を受けて、復元されるとか。
この件はニュースなどでも取り上げられたので、 ご存じのガイドさんもいらっしゃるかもしれません。
その鉄板に関する詳細については、 こちらに記載できませんので、下記「福山城400年博」サイトにて ご確認下さいね。 ↓↓ https://fukuyama400.jp/
写真を何枚か載せておきたいと思いますが、 上側は明治の廃城令、そして戦火をくぐり抜けた伏見櫓です。 築城当時の遺構を残す貴重なものです。 下側は、鐘櫓(かねやぐら)です。 時を知らせる鐘や太鼓などがあり、 現在、日に4回、鐘が鳴ります。
↓↓
(2022.06.01) |
|