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2022年08月のバックナンバー記事

円山応挙の恩返し・・・大乗寺
皆さん、こんにちは。夏本番とはいえ暑すぎる毎日、すでに秋が恋しく思う今日この頃です。コロナも再び多くなる兆しで心配していますが、お盆は行動制限を行わないとのこと、
各地の観光地は少しでも盛り返せるでしょうか....

さて、これまで仕事を含めて様々な神社仏閣に訪れましたが、
皆さんはプライベートで訪ねてみたい神社やお寺はありますでしょうか?
考えて見ますと、バスガイドという仕事を通じて、本当に素晴らしい神社仏閣を知り、
最初は殆ど興味がなかった仏像や彫刻などに触れていく内に、
お休みの日に奈良の方へ出かけたりするようになりました。

そのきっかけは間違いなく、バスガイド3年生の頃に、
3泊4日のお仕事で、歴史研究会という団体様を担当したことでした。
もちろん私がガイドするわけではなく、専門の先生が車中でずっと近辺の歴史について
ご説明なさるので、私はずっとステップに常駐してお話を聞いていただけなのですが、
その先生のわかりやすい説明に、歴史って面白い、と初めて思いました。
ポイントとなる神社仏閣や城跡では下車して説明されるので、
私もついて行って、一通り勉強させて頂きました。

そんな私が今、どうしても行こうと思っているお寺があるのですが、
それは応挙寺です。
何年か前に、やはりプライベートで湯村温泉に泊まったので、
翌日には訪ねようと思っていましたが、残念ながら天候が悪くなって
行くことができませんでした。

応挙寺、正しくは大乗寺といいますが、
兵庫県の香住にあります。

開かれたのは天平17年(745年)といいますので、1200年以上の歴史がありますね。
高野山真言宗のお寺で、行基が自ら木造聖観音立像を彫り、開かれました。
行基といいますと、ご存じのように奈良の大仏を作る大事業に貢献した高僧です。
大乗寺を開いたのは78歳の時ですが、大仏の完成を見ることなく
病を患ったと言われていまして、749年に82歳、奈良の喜光寺で入寂されました。

江戸時代の中頃、東寺の住職だった密蔵上人が、
この大乗寺を訪れたまだ無名の絵師、丸山応挙の才を見抜き、援助したところ、
後に有名になった円山応挙が8年間の間、子や弟子の呉春、永沢芦雪ら12名を
引き連れて、かつての恩返しとして襖絵などを描いたのですが、
しかも1枚や2枚ではなく、何と合計165面もの絵を残しました。
これらの絵はすべて国の重要文化財となっていますので、
さながら大乗寺は円山応挙美術館ともいえますね。

たくさんの絵の中で、私が興味を持っているのは
墨の濃淡だけで描き上げた「孔雀図襖」です。
円山応挙は、これを描いた3ヶ月後に亡くなっていますので、
晩年は目を悪くしていた、ということも言われており、
最後の力を振り絞って描いたものなのではと推測します。

また、大乗寺ではないのですが、
円山応挙は様々な幽霊の絵を描いていたことでも有名で、
その絵の幽霊には足がありません。
足のない幽霊を描いたのは円山応挙が初めてだったとか、
確かに私たちも、幽霊には足がない、と思っているところ、ありますね。

京都の建仁寺で公開された円山応挙の幽霊図を一度見たことがあるのですが、
それはそれは、ずっと見入ってしまうほどの絵です。
円山応挙が描く幽霊の絵は、どこから拝しても目が合うと言われますので、
皆さんもぜひ、ご覧になってみて下さいね。

あ、ところで
この大乗寺には、創建当初からあると言われる
樹齢約1200年のクスの巨木が本当に立派で、今も元気に成長し続けています。
山門のすぐ脇にあるので、これ以上近づいたら山門が壊れるかも、
というニュースを見たことがあるので心配もしています。



(2022.08.01)

 
 
   
 
 
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