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安土城VR復元プロジェクト
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皆さん、こんにちは。今日6月11日、北陸・東北地方も梅雨入りしたとのこと、 梅雨明けは、およそ平年並みということですので 中国地方では7月25日頃〜でしょうか。 いよいよ今年も本格的に暑くなりますね。
ところで先日、東京へ行く用事があり、 通常ですと、新幹線を利用するのですが、どうしても高速バスに乗ってみたく、 完全個室の話題のバスにしてみました。 新宿を出るのが23時過ぎなのでちょっと大変でしたが、朝には大阪へ着きます。 ひと言で感想を言うならば、「すごかった!」です。 私たちが、バス内でいつも中央通路を後ろに前に歩く、 その通路幅の左右がすべて、それぞれ客室?になっていまして、 スライドドアを閉めれば完全個室です。 まるで動くホテルのような感じでwi-fiもあり、 くつろいで過ごせるウェアも用意してあって本当に驚きでした!
高速バスの場合、何となく、完全に「仕事感」が拭いきれず、 バスの走行音を聞きながらくつろぐ、というのが苦手で あまり利用したことがなかったのですが、 完全個室車ならどうなんだろう、と乗ってみましたが、 異次元の世界というか、バスという概念が覆されてしまいました。 本当に至れり尽くせりな空間なので、 ぜひ、機会があれば皆さんも利用なさってみて下さいね。
さて、本題に入りたいと思いますが、 今年からいよいよ織田信長が築いた安土城跡での発掘が行われます。 重要エリアを6つの区域に分けて調査がされるとのこと、 まずは天主があったエリアからスタートなのだそうですが、 今は、だいたい30メートル四方の中に101個の 柱のあと(礎石)が残っています。
本能寺の変で、織田信長亡き後、 この安土城は北側に倒れて焼け落ちたと言われているので、 何かしら発掘調査で見つかるかもしれません。
織田信長は、約3年の歳月をかけて 安土城を築城しましたが、6層からなる天主の最上階は、 美しく金色に輝いていたとか。 安土桃山時代はまさに安土城なくして語れませんが、 当時の最高技術を結集したものだったと思われますので、 どんな天主だったのか、想像が膨らみます。 また、安土城跡へ行きますと、石垣や堀など、 当時の名残りもたくさん残っているのですが、やはり 秀吉の邸宅跡がとても興味深く、貴重な資料となっています。 かなり立派な邸宅で、邸宅の面積(366m2)もさることながら、 馬を6頭も飼える厩もあったそうです。 そして平成の時代になってからの発掘調査で、 重厚な櫓門があったと見られる跡も発見されましたが、 櫓門の最古の遺構として非常に貴重なものです。
戦国時代がちょうど終わりを迎える頃の遺構を見ることは 本当に興味深く、機会があれば私も再度行ってみたいところです。 秀吉の邸宅跡には、線画による復元図などもありますので、 こんなに立派な邸宅があったんだな〜と 思いを忍ばせることができます。 また、近くにある安土城考古博物館に行けば、 さらに、私たちの知識を深めることが出来る資料がありますので、 ガイドの皆様、ぜひ訪ねてみて下さいませ。
ちなみに令和8年が安土城が築かれてから450年、 つまり織田信長の450年忌ですので、それまでには 幻の城といわれる安土城をVR(バーチャルリアリティ)によって 復元する、という計画が行われることになっています。
ただ、VR(バーチャルリアリティ)によって 安土城を復元するには、どうしても必要なものがあり、 それが先日、ニュースでも報道されていましたが、 唯一、安土城の在りし日の姿と、 安土城からの城下が描かれた絵があったそうです。 それは、狩野永徳によるものですが、 狩野永徳は、安土城のいわば御用絵師で、 数々の障壁画を手がけましたが、本能寺の変のあと、 焼き尽くされてしまったとされます。
ところが1点だけ、 バチカンのローマ教皇に贈ったとされる、 安土城と城下が描かれた作品が行方不明になっており、 滋賀県の副知事が、その件でバチカンへ行かれたようです。 希望は薄い、かもしれませんが、 ぜひ、見つかって欲しいですね!
余談ですが、狩野永徳という絵師は、 信長、その後、秀吉に仕えましたので、 大阪城などにも屏風絵や襖絵など、多くの作品を手がけましたが、 安土桃山時代のことですので、多くの場合焼失したり、 しかも狩野永徳は47歳で亡くなっていますため、 現在、残されている作品は非常に少ないです。 ただ、過労によって亡くなったと言われていますように、 その人生は、描いて描いて、まさに寝る時間もなく 描いていたのではないかと思います。 例えば、安土城に限っても、 100枚以上の絵を描く必要があったといいますから、 想像するだけで、大変な作業だったのではないでしょうか。
東京国立博物館に保管されている「檜図屏風」は 晩年に描かれたもので、国宝に指定されています。 これはぜひ、検索してご確認下さい。
下記の写真ですが、 1枚目は二の丸跡、2枚目は天主跡の礎石、 3枚目は羽柴秀吉の邸宅跡です。
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(2023.06.11) |
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