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2023年12月のバックナンバー記事

長浜城の太閤井戸・石田三成
皆さん、こんにちは。2023年もいよいよ終わりを迎えようとしています。
コロナも今年5月から5類に移行されて、少しずつ落ち着きを取り戻しつつあり、
年末年始は、特に行動制限なしとのこと、久しぶりの賑わいとなりそうですね。

さて、先月から琵琶湖の水位が下がっているというニュースを
度々、聞くようになりました。
琵琶湖の水位は、これまでですと1994年のマイナス123cmが
観測史上、最低水位だったそうですが、
現在の水位は70cm以上、もっと下がるようですと制限がかかるらしく、
琵琶湖は関西の水がめともいわれ、1cm下がっただけでも
大変な水量なので、引き続きの情報が待たれます。

ところで、羽柴秀吉が初めて城持ちになって居城したお城といえば、
琵琶湖に面する長浜(当時は今浜)にある長浜城でした。
羽柴秀吉が、37歳の時です。
以前、長浜周辺で菊花展があり、仕事で訪ねた際に、
(長浜城)長浜歴史博物館の裏に、貴重な遺構である「太閤井戸」を
見に行ったのですが、下部が湖中に水没していて
遠くから見ることしか出来なかったのですが、
このところの琵琶湖の水位が下がったことで、井戸のところまで
歩いていけるようです。
ちなみに、井戸のところには「太閤井戸」と記された石碑がありますが、
石碑部分はだいたい2メートルです。
また、この井戸が昔からあることがわかっていたのではなく、
昭和14年、同じように琵琶湖の水位が下がった時に発見されたとか。

長浜城については、当時の図面等も残されていないため、
確かなことはわかっていませんが、例えば湖水を堀に引き入れたり、
イメージとしては、かなり琵琶湖に面してせり出す感じだったのかなと
思いを馳せることができます。
現在の城は、1983年に復元されたもので、長浜歴史博物館となっています。

長浜付近でお客様にご案内する内容といえば、
皆さんもよくご存知の、秀吉と石田三成の出会いについてでしょうか、
「三碗三温」のお話で、三成が小僧をしていた観音寺というお寺は
高速道路からは見えませんが、北陸自動車道の長浜IC手前右奥になります。
長浜城は反対の左奥になります。
長浜ICに近づくにつれて、右奥に伊吹山が見えますので、
「三碗三温」についてはそれまでにお話しておくと良いと思います。

伊吹山が天気の影響で見えなかった場合は、
石田三成と渡辺勘兵衛のお話をするのも良いかもしれません。
渡辺勘兵衛は、とても有能な人物で、
柴田勝家や羽柴秀吉なども、召し抱えたいと考えて
声をかけていましたが、渡辺勘兵衛は、それらをすべて断り、
「10万石でなければ受け入れない」と言ったお話が有名です。
しかし、石田三成の家臣として秀吉の前に現れた折には秀吉も驚いたとか。

当時の石田三成の禄高は500石の小姓でしたので、
秀吉は、どうやって渡辺勘兵衛を家臣にしたのか、と聞いたところ、
三成は自分の禄高500石をすべて勘兵衛に渡し、
いずれ、私が100万石になった暁には10万石に加増すると約束したと話しました。
しかし、勘兵衛に500石を渡してしまえば、自分はどうしてやっていくのか、
と秀吉がさらに聞くと、勘兵衛の家に居候をするので問題ありません、
と答えたそうです。
結局、勘兵衛は生涯、三成に仕えて、後の関ヶ原の合戦でも活躍しましたが、
力尽きてしまいました。

ところで、長浜城(現長浜歴史博物館)からの展望は本当に素晴らしく、
バスの観光コースにはなかなか入っていないので
訪ねる機会は少ないと思うのですが、
琵琶湖も一望できますし、春は桜の名所なので、一層美しい景色となります。
秀吉や三成、長浜にまつわるお話に思いを馳せながら
ゆっくりと過ごしてみたいところです。

↓↓ こちらは、琵琶湖の水位が低い時の太閤井戸です。

(2023.12.25)

 
 
   
 
 
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