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| 白浜の円月島 ― 地質が語る千年の歴史と、光が描く自然の奇跡
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皆さん、こんにちは! 今年の夏は暑い、本当に気温が高すぎて、さすがに心配になりますね。 昔は暑い時には海へ山へと出かけたものでしたが、最近はどこへ行っても、北海道でも高気温が続いています。
さて、今回は少しでも涼しさを感じられるよう、海をテーマに取り上げてみました。 美しい砂浜で知られる和歌山県の白浜町、関西から2時間半ほどで行けるとあって人気の高い観光地です。 白浜が宿泊地となりますと、バスツアーでは多くの場合、翌日の朝、出発してまず円月島を車窓から ご覧頂きながら、次の目的地に進みます。
皆さま、間もなく左手の沿岸に白浜のシンボル、円月島が見えて参ります。 「円月島(えんげつとう)」は、南紀白浜の象徴として長く親しまれてきた景観地でございます。 正式名称は 高嶋(たかしま)。 東西に約130メートル、南北に約35メートルほどの小島で、最も高い部分は 高さ約25メートルに達します。
円月島の中央部にご注目下さいませ。 ぽっかりと開いた円形の穴がご覧になれますでしょうか? この穴は、直径 約9メートル前後あり、人の手ではなく、波に削られた「海食洞(かいしょくどう)」です。 長い時間をかけて、柔らかい砂岩が浸食されて生まれたものです。
白浜周辺の地質は、今から約1500〜2000万年前に形成されたと伝えられ、多くは砂岩層です。 円月島もその一部ですが、穴そのものの形成はもっと新しく、現在の形状になったのは 数千年規模と推定されております。 波の力は季節ごとに変化し、台風による影響も大きいため、島は少しずつ形を変えまして、 現在のようにほぼ完全な “ 円 ” に近い形になったのは、自然の偶然が重なった結果といえます。
円月島は、いつ頃から人々に注目されてきたのでしょうか? 地元の記録によりますと、江戸時代にはすでに「奇岩」として和歌山沿岸を行き交う舟人の目に 留まっていたとされています。 明治以降の紀行文にも円月島を描写する記述が見られますことから、すでに「白浜の名勝」として 広く知られていたようです。 その後、昭和10年(1935年)には国の名勝に指定されております。
さて、円月島といいますと欠かせないのが、島の中央に開いた穴と太陽の位置が重なる現象ですね。 特に有名なのは 夕陽が穴にすっぽりと収まる光景です。 春(3月中旬)と秋(9月下旬)の年に数日だけ、太陽が沈む軌道と島の穴の位置がちょうど重なり、 まるで自然がつくった “ 大きな額縁 ” の中に夕陽が飾られたような美しい景観が生まれます。 このタイミングを狙って写真家たちが多く集まり、「奇跡の夕陽」と呼ばれるほどの人気です。
一方、日の出については、島の地形と海岸線の位置関係から、穴に太陽が完全に収まることは稀だそうです。 円月島が “ 夕陽の名所 ” とされる理由は、太陽が西へ沈む軌道と島の穴の位置がちょうど一致するためです。
白浜はその名前の通り白く、美しい砂浜が広がっていますが、この砂浜も主に砂岩が風化・摩耗し、 波によって打ち寄せられた粒子によって形成されています。 この円月島の岩質も比較的柔らかく、特に中央部は海水の影響を受けやすい構造のため、 穴は年々わずかに広がり、上部の厚みが徐々に薄くなっていることが指摘されております。
このため近年は、その調査が積極的に進められていますので、自然がつくる地形でもありますし、 今見ている円月島の姿は、“ 今、この時代だけの表情 ” なのかもしれませんね。
以前、円月島近くの旅館に宿泊した折、夕方に沿岸まで訪れてみたのですが、 やはり、円月島が最も美しく映える時間帯は夕暮れ時ですね。 海岸沿いの道路からは、さまざまな角度で島を望むことができますし、 潮の満ち引きによって波の高さが変わると、島の印象もまた違ったものになります。
円月島は単なる景勝地ではなく、私たちが目にしているのは、自然が気まぐれに彫り続ける “ 途中の姿 ” で、 未来の円月島は今とは少し違う形になっているかもしれないと思うと、とても特別感を感じますね。
白浜の旅では温泉、グルメ、アドベンチャーワールドなど魅力は数多くありますが、 円月島の夕景は“旅の余韻を深める一枚の絵画”のように心に残ります。 ガイドとしてお客様をご案内する際、「今日は夕陽が綺麗に見えるかもしれませんね」と一言添えるだけで、 移動中の期待感もぐっと高まります。 もし天候が味方してくれれば、穴の中に光が吸い込まれるように落ちていく、 その特別な瞬間に立ち会えるかもしれません。
円月島 ↓↓

(2025.08.25) |
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